神様仏様稲尾様の稲尾和久のぐう聖エピソードで打線組んだ

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神様仏様稲尾様の稲尾和久の
ぐう聖エピソードで打線組んだ

 

 

1番・センター
自分の契約金・給料が同期入団のH、Tより圧倒的に安いと知っても腐らずがんばる。
H(契約金800万円月給15万円)、T(契約金500万円月給10万円)
稲尾(契約金50万円・月給3万5千円)

 

2番・ファースト
親会社の身売りの時、24番を永久欠番とする話を自ら断った。
現在は永久欠番

 

テスト生だったよな
しゃーない

 

>>3
あのバッピ打てねえよって感じやったらしいな
ツーシーム、ムービング使いやったんちゃうかと思ってる

 

>>3
テスト生じゃないよ。
だから契約金があった。
実は南海のスカウトが先に目をつけていて、
それを知ったらライバルの西鉄が、南海のスカウトへの嫌がらせで
とったというのが真相。

 

3番・ショート
通算300勝を目標として現役続行を希望していたが、
黒い霧事件で窮地に陥った球団の要望により引退をうけいれた。

 

肩が痛いから逆にさらに痛みを加えればボールを投げる時に痛みが出ないんじゃないかという発想で、鉄球を投げて肩痛を治したとかいうエピソード

 

4番・サード
圧倒的な酷使の中でも一切恨み言・不平不満を言わず、「感謝している」とポジティブ発言。

 

プロ入りから8年連続で20勝以上を挙げ、この8年間の平均登板数は66試合、平均の投球回数は345イニングである。
42勝を挙げた1961年には登板78試合(パ・リーグ記録)のうち先発で30試合(完投25試合)、リリーフで48試合に登板している。

当時は中3日で「休養十分」と見なされていたが、この年は中3日以上空けて登板した試合はわずか18試合。
逆に3連投4回を含め連投が26試合ある。

同世代のエースと比較しても稲尾の登板試合数は極端に多い。
米田と土橋は共に63試合が最高で、60試合以上登板したのも共に2シーズンだけ、
梶本は68試合が最高だが60試合以上登板したのはその1シーズンのみ。

これに対して稲尾は60試合以上登板したシーズンが6シーズン、そのうち70試合以上登板したシーズンが4シーズンある。

特に入団初年度の1956年からは4年連続60試合登板を記録し、かつ61→68→72→75と年を経る毎に増えている。

後年、病床に伏していた三原は稲尾に「自分の都合で君に4連投を強いて申し訳ない」と詫びたが、
稲尾は「当時は投げられるだけで嬉しかった」と答えている。

 

 

>>10
稲尾2人でローテ回るやん!

 

>>10
中継ぎでも登板数叩かれるわ

 

5番・レフト
圧倒的に優れたマウンドマナー。
相手投手にマウンドを譲るときは、
必ずロージンバッグを一定の場所に置き、
自分と相手の投球で掘れた部分を丁寧にならしていた。

 

 

昭和59年、私(稲尾)はロッテの監督に就任した。そしてコーチなど新陣容の発表会見後、
首脳陣が集って銀座に繰り出すことになった。そこに選手でただ一人、

「私も行っていいですか」という者がいた。それが落合博満だった。昭和57年には史上最年少
の28歳で歴代4人目の三冠王に輝いていた。練習も契約更改も「オレ流」で、扱いにくい男だよ、
と私に注意を促す人間は少なくなかった。

杯を傾け始めた時、落合がすっと隣に寄ってきた。
「ひとつ聞きたいことがあるんですが、監督は管理野球ですか、それとも選手に任せるんですか」

「管理野球って、何だ」と私。
「(西武の)広岡さんがやっている管理野球です」
「残念ながら、オレは西鉄ライオンズで育ったものだから、管理されたことがない者が管理する。
これは難しい。だからオレは管理しないよ」

「わかりました」と安心したように言って、落合が席を去ろうとするのを呼びとめた。
「ちょっと待て、オレもお前に聞きたいことがある。これに勝てば優勝という試合で、
9回裏ノーアウト一塁、1点取ればサヨナラの場面だ。そこでお前が打席に立ったら、どうする」

「そりゃあ、バントでしょう」。こともなげに落合は即答した。
「おまえ、4番やぞ」と重ねて問いただしたが「1点取りゃあ勝ちなんですから、バントです」と答えは変わらない。

外から見たり、なじみの記者たちから聞いた落合のイメージは「絶対、打ちですよ」という答えが
返ってくるはずだった。しかしバントだという。マスコミで伝えられる像とはまったく印象が違っていた。

予断で人を判断するものではない。「フォア・ザ・チーム」をどう考えているか。それを確かめる質問へ
の回答に、私は「この男は使える」と確信した

 

>>12
ああ…カッコいいんじゃぁぁぁぁ

 

>>12
なお稲尾ロッテも低迷

 

>>12
や落N1

 

6番・指名打者
榎本は「どんなに打たれても、あの人だけは一回もひげそりボール(ブラッシュボール)を投げてこなかったです」
通算四死球は73。

シュートを決め球にしていた割には、非常に少ない。
なにしろ歴代通算記録の40位以内には入っていない。
ちなみに一位は愛弟子の東尾165個、39位に星野仙一他が82個。

 

 

7番・ライト
後輩であり愛弟子でもある池永正明の復権に大きく尽力した。

 

 

8番・キャッチャー
2005年、仰木彬が亡くなり、プロ生活の大半を過ごした関西地方(場所は神戸市)でお別れ会の話が出た際、
稲尾は「福岡(福岡県)は仰木さんの故郷で親類や知人も多い。
神戸まで足を運べない人の為にも」と福岡・神戸でのお別れ会同時開催を提案した

 

>>17
仰木さんは稲尾から巻き上げた金を一晩で使い倒すクズやったのに

 

>>31
マジか
仰木さんが年上だよな

 

>>35
仰木さんが1個上やな
借りたんだか麻雀かなんかで巻き上げた金のことを翌日聞いても「そんなもんない」の一点張りとかで

 

9番・セカンド
ルーキーがフライを落とし、サヨナラ負けを喫した後。
西鉄の大物たちは、帰りのバスの中でそのルーキーがつるし上げた。
唯一かばって「気にするな。次、打ってくれたらいいよ」と慰めたのが、
その日、敗戦投手になった稲尾だった。

 

 

肩の軟骨がすり減ってもう無いんやろ
何かの拍子で脱臼する言ってた

 

>>20
肩だけじゃなく、肘が悪かった。
関節にある円滑油の役割を果たす骨液が抜けて、……。

 

投手・常に「いただきます」、「ごちそうさま」を忘れない礼儀正しさ。
お得意様の阪急戦、ダブルヘッダーで2連投で、2勝を挙げた稲尾。
相手チームのエース米田に「ごちそうさま」とちゃんと言って帰った。

 

>>21
ぐう畜

 

>>21

 

>>21

 

>>21
畜生やんけ

 

>>21
うーんこの畜生

 

>>21
急に畜生で草

 

中継ぎ・常に頭脳的・合理的な態度
投げるときには、点差が3点差以上なら、よく自説のことを考え省エネ投法。
下位打線・弱小チームには、八分の力で投げていた。
ちなみに登板翌日は、軽いランニングとキャッチボールのみ。
投球練習はほとんどしない。

 

 

豊田泰光「打撃投手稲尾やんけ!センター返しでいじめたろ」

 

抑え
シーズン中ほとんど練習しない稲尾に誰かが尋ねた。
「練習しなくていいの?」
稲尾「試合が練習だから」

 

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